藤 圭子 哀悼 |
あれは 2月の 寒い夜 やっと14になったとき 窓にちらちら雪が降り 部屋は冷え冷え暗かった 愛というのじゃないけれど 私は抱かれてみたかった 私たちは貧しい青春時代に、何か光るものを見つけ、それに向かって全力をそそいだ。その道の成功者とよばれるようになった。 彼女も私と同様貧しさから這い上がり、好きなものを好きな人と食べ、それが幸せだと勘違いした。あまりにも貧しすぎたのだ。 うただも、ひかるも、彼女を一人にするべきではなかった。 我々の世代の成功したアーティストと呼ばれる人種の天敵は、寂しさなのだ。 残酷なまでの愛の探求者 私の魂の歌姫 藤圭子 心より御冥福をお祈りします。合掌 (2013.8.24[Sat]) |
え〜暑いね! お盆の時期になりましたが、できるだけ出勤して、お休み中でも商品が届くように頑張ります。 営業日:12日(月)・14日(水)・16日(金) 営業日のPM4:00くらいまでに注文メールをいただきましたら、翌日お届けできます。 できるだけお早目にメール下さい。 (2013.8.9[Fri]) |
宮崎駿 風立ちぬ |
宮崎ハヤオの作品には、心を打つ強烈なテーマがあった。それは常識から外れた恐ろしいものや、おどろおどろしい世界が突然当たり前のように展開して最初は躊躇する。物語が進むにつれ、それは深い愛だったり、思いやりだったり、見ている人の内部に秘めた優しい気持ちをぐいぐいと抉り出す。見ている人間はその世界に同調し、大げさに言うと生きる喜びのようなものを感じる。それが宮崎駿の世界だ。彼の映画を見に行く人はそれを期待する。 三菱重工に入社し、日本の戦闘機ゼロ戦を設計した青年の話だ。飛行機好きの少年が、外国の有名な設計士と夢の中で会うのは、自然に空想するわけであり、特に不思議な話しでもない。人は出会いがあり、恋におち、結婚し、別れもある。これは宮崎駿の作品を見に行った人間をがっかりさせるあたりまえのストーリだ。私には老人の回想としか思えない。そこに宮崎自身の指向性すら感じ取れない。 夏休みで多くの人が映画館にやってきた、食い入るように見つめる人は誰もない。いつもと違っていた。トイレに立つ人も多く、中には話をしている人もいた。 大変残念だが、見に行く価値はない。風立ちぬに宮崎駿の世界は無い、ネタ切れなのか燃え尽きたのか、大きなテーマを持たず、ただ映画を作るのは彼自身の意志だったのだろうか? (2013.8.3[Sat]) |
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