CAROM独立への道その8 |
CAROM独立への道その8糸屋株式会社に入社 小川さんの友人である人が、糸屋という会社を紹介してくれた。そして入社1日目に事件は起こった。大学の学生課から連絡があり、三重県の私学高校から国語の先生の欠員が出たので、至急その学校に行ってくれとのこと。私は学生課に私学の要望があったとき私を推薦してくれとおねがいしてあったのだ。困った。迷った。よりにもよって入社1日目である。結局この会社に入社することを決めた。何か違うと感じたのは1年たってからである。デザイン室勤務から加工部に転属。裁断部である。生地を針にさしていき何枚も何十枚も重ねていく作業だ。手から血が流れ、いったい私は何をしているのだろうと思った。ある日営業部からお声がかかり、地獄から脱出できた。マタニティドレスの営業を任された。デザインや生地選びに多くの時間を費やし、ついにマタニティ部のトップになった。大阪は船場、東京は日本橋と多くの問屋さんに販売に出張した。東京に出張の際は楽しかった。販売は得意でほぼ午前中に数百万円の契約を取り決めた。午後からはアメ横のモデルガン屋さんを巡った。MGCのボンドショップやCMCの直営ショップ、MKKのレプリカ店、マルゴーなど、さらに足を延ばしてコクサイ・道玄坂の平田さんに会いに行った。 この時期に私は銃砲の所持免許を申請した。警察が会社にまで聞き込みを行った。社長室に呼ばれ刑事2名と社長が私をにらみつけ、なんで鉄砲がいるのかを詰め寄った。もちろん答えはクレー射撃。狩猟に興味はなかった。かくして24歳でレミントンのポンプアクションショットガンを手に入れた。1年たってさらにスキート用に上下2連も手に入れた。クレーは私の癒しの時間、白いお皿が蒸発するように弾き飛ぶと、すべてのことがうまくいくような気がした。この後は退屈なサラリーマン人生なので割愛させていただく。10年間サラリーマンを続けて退職。退職の理由は敵を多く作ったから、出世が早く売り上げも多い私を面白くないお偉いさんが多くいたからだ。例の謎であるが、やはりこの会社も廃業して今はもうない。 (2018.4.7[Sat]) |
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